映画『アイム・オール・ライト』サウンドエディティング篇
映画『アイム・オール・ライト』、現在ポストプロダクション作業中、自宅スタジオでアフレコ&フォーリー作業に勤しんでいます。
写真はこの日の録音を終えしばし休憩中の酒向芳さんと高川裕也さん。
アフレコは向こうではADRと呼ばれています。
フォーリーはセリフ以外の衣擦れの音や俳優さん達の足音、その他アクション音の再現です。
以下の動画を見ていただくとなんとなくわかると思います。
ADR
同録でどうしても上手く録音できなかった場合のオプションとしてADRがあります。私の映画はそもそも同録でないので正確にはADRとは言わないのかもしれませんが、作業としては同じ作業になります。
フォーリー
筋肉モリモリの大の大人がこんな繊細な仕事をしているのが感動的です。
動画を見てもらうと分かりますがフォーリーをする人は「フォーリーアーティスト」と呼ばれています。無音の状態から自らの想像力と音を使ってムービーというキャンバスに音色を乗せていくのだから「アーティスト」と呼ばれているのでしょう。
さて、我が『アイム・オール・ライト』、ADRに関して、最初は俳優さん達のセリフ録りに四苦八苦するかと思いましたが、実際作業を始めて見るととてもスムーズに進んでいます。
画面のリップに合わせて、且つ感情も表現してもらうというかなりトリッキーなことを要求しているのですが、皆さん本当に完璧に合わせてくれます。一度生きた役はその後何度でも生きることができるという「役者」という職業の特殊性には本当に驚かされます。
セリフ録音&フォーリーを進めながら同時に音編集、サウンドエディティングも進めています。こちらの作業は撮影と同じか、もしくはそれ以上の膨大な作業になります。セリフやフォーリー音の質感や距離感、空間での鳴りを合わせたり、カットによっては細かくボリュームやパンを調整したり、etc・・・。
全くの無音シーンに対して一から音を作っていくわけですから正直作業を進めながら途方にくれる事もあります。
それでも、あるシーンに対してほぼ完璧なサウンドエディティングが出来た時の達成感は半端ありません。まさしく「シーン」の誕生に出会っている気持ちです。
フランスの映画監督ロベール・ブレッソンという方の言葉に、
「映画は二度死んで三度生き返る」
という言葉があります。
もう何十年前に読んだ本なので、どれが1度目でどれが2度目でどれが3度目か、ちょっと詳しくは忘れましたが「脚本」が出来上がって(生まれて)それが俳優たちによって演じられることによって「脚本」という芸術形式が1回死んで「演技」という芸術形式が生まれて、「編集」という作業によって「演技」という芸術形式一回死んで、最後に「フィルム」という芸術形式の誕生で終わるといったように理解しています。
ここでは音に関しては言及されてないので、私流に言えば「映画は三度死んで四度生き返る」という事になるのかもしれません。さらに上映という形式を加えれば「映画は何度でも生き返る」という事になるのではないでしょうか。
私のフィルム『アイム・オール・ライト』はまだ誕生していないので、こんな与太話はさておき実作業に戻るべきですね。
皆さん、クソ暑い日が続き精神的・体力的にも大変でしょうが、実り多き秋に向かって踏ん張っていきましょう!