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Studio Updates —

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色気

古井由吉さんの「人生の色気」という本を読んでいたら、

「いま、女性の顔が荒れているでしょう。あれは男が悪いんです。女を求める男が少ないからですよ」

なんて一文があって「お、・・・お、おう」ってなってしまう。

2009年発行の本だからもう10年前だ。

10年経って女性に限らず人々の顔がどうなったのかというと正直わからない。

皆んな携帯ばっか見てるから顔がよく見えない。

電車の窓から流れる景色を見ている女の人の横顔が好きだったけど、いまじゃそんな人はいない。窓に映ったその人の顔を盗み見るのもとても好きだったけど、いまじゃそんな人はいない。

皆んな携帯ばっか見てるからさ。

例えば友達と駅前あたりで待ち合わせをしてその人を待っている間、自分と同じ待ち人の顔を見るのも以前はもう少し楽しかった。

男も女も人を待っている時の顔はどこか不安と期待が入り混じったいい顔をしている。

今じゃ皆んな携帯を見てるからさ、目当ての人が来るまで下を向いている。

人を撮ることが職業の私としては由々しき事態だ。

「頼む!皆んな顔を上げてくれ!」

と思う。

そういえば今思い出したのだけど、数ヶ月前渋谷に小谷美紗子さんとoutside yoshinoさんのライブを見に行った時の小谷美紗子さんにはとても色気があった。

演奏を見ている間どう考えても小谷さんが俺のことをガン見している気がしてドキドキしてしょうがなかったんだけど、ライブが終わって嫁と合流したら「どうしても小谷さんと目が合っちゃって♡」なんてことを言ってて、これが色気ってやつだ、と思った。

その日はライブを観終わって友達と色気のない焼き鳥屋で色気のない男同士一杯やって帰途に着いたんだけど、途中、井の頭線の同じ車両にoutside yoshino aka 吉野寿さんがいることに気がつき「吉野さ〜ん!」なんて思わず声をかけてしまったんだけど、声をかけるまでの吉野さんはドアの前で直立不動で窓の景色を見ていた。ほぼ直立不動で。

声をかけてから、なんとなく申し訳ないことをしたと思った。

見る、見られるという行為の間に色気は生まれるのだと思う。

携帯の画面に没頭するということは見られるということを自ら拒絶する行為で、それはつまり、色気ゼロってこと。

「頼むから、もう少し顔をあげてくれないかな?」

Yuki Hoshino